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加藤 洋平氏との「成人発達理論マスタークラス」を終えて

2021年の11月~12月にかけて、約6週間にわたり「成人発達理論」に関するオンライン・プログラムを加藤 洋平さんと共に実施した。
このたび、その講義と質疑応答の記録が動画コンテンツとしてまとめられ、このプログラムを企画してくれたアントレプレナーファクトリーより販売されることになったので、おしらせしたい。

https://www.enfac.co.jp/contents/aditi-ma/?utm_source=s

加藤さんとは20年ほどのつきあいになるが、その間共にケン・ウィルバーのインテグラル理論を経由して、発達理論に関する探求にとりくんできた。
また、共にこの領域を牽引してきた研究者や実践者との共同作業を通して、人間の発達に関して――とりわけ成人期のそれに関して――現在進行形で推し進められている探求活動に関わり、書籍や論文の中では紹介されていないその実践的な側面を垣間見てもきている。
このたびこうして共同してプログラムを実施し、これまでの探求活動をとおして得られた知識や洞察の一端を参加者の方々と共有できたことは、個人的にも非常に大きなよろこびをもたらしてくれる経験となった。

加藤さんとは20年ほどのつきあいになるが、その間共にケン・ウィルバーのインテグラル理論を経由して、発達理論に関する探求にとりくんできた。
また、共にこの領域を牽引してきた研究者や実践者との共同作業を通して、人間の発達に関して――とりわけ成人期のそれに関して――現在進行形で推し進められている探求活動に関わり、書籍や論文の中では紹介されていないその実践的な側面を垣間見てもきている。
このたびこうして共同してプログラムを実施し、これまでの探求活動をとおして得られた知識や洞察の一端を参加者の方々と共有できたことは、個人的にも非常に大きなよろこびをもたらしてくれる経験となった。プログラムの詳細については、上記のURLに記載されているので、ここではこのプログラムの意義についてあらためて紹介しておきたいと思う。
周知のように、日本でひろく「成人発達理論」が識られるようになったのは、フレデリック・ラルー(Frederic Laloux)とロバート・キーガン(Robert Kegan)の著作が翻訳・出版されてからのことだが、それらの書籍が一般向けの実務書としてまとめられたものであるため、発達理論に関しては、非常に簡略化されたモデルが紹介されることになった。
結果として、発達心理学者のスィオ・ドーソン(Theo Dawson)が懸念を示すように、その「わかりやすさ」が、読者の人間理解を過剰に単純化してしまい、あまたの「副作用」を生み出すことになってしまった。
特に懸念すべきは、この理論が、企業組織における人材育成や組織開発をはじめとする実務領域における実践的な知識や方法として紹介された結果として、多数の実務者が、それを実際の現場において効果的、且つ、倫理的に活用するために必要とされる訓練を経ないままに、それを生きた人間や組織に適用してしまい、さまざまな被害を生み出すことになったということだ。
たとえば、懇意にしている臨床心理に携わる専門家達に聞いたところでは、この数年のあいだに「発達理論」を用いた「ハラスメント」に関する相談が頻繁に持ち込まれるようになっているという。
また、懇意にしている組織開発に携わる専門家達は、組織開発の領域に「発達理論」が短絡的に導入されるようになった結果として、却って組織の機能性や堅牢性が損なわれる事例が生まれていると深い懸念を示している。
いうまでもなく、発達理論は、心理学の一領域であり、それを真に効果的・効率的・倫理的に活用するためには、それをひろい文脈の中に位置づけて、その光と闇を客観的に理解する必要がある。また、必要に応じて、その限界や盲点を他の学派や流派の力を借りて適宜補完する必要がある。
特に今日ひろく紹介されている「発達段階論」とは基本的にはわれわれの学習と探求を支えるための便宜的なモデルであり(heuristic)、それを人間の実際をとらえるものとして理解して、それを実際の共同作業に適用してしまうことは、大きな危険を伴うのである。
また、「発達理論」について云々するまえに、生きた人間に対して心理学の知見を適用する場合には基本的な倫理的な態度を涵養することが必須となる。
とりわけ、発達理論というものが、ある意味では、人間存在に非常に深く切り込んでいけるものであるがゆえに、こうした基本的な条件を整えることは、実践者にとり必須となるといえるのである。
そして、今回のプログラムにおいて、参加者に伝えたかったのは、正にこうしたポイントなのである。

幸いなことに、今回のプログラムに参加してくれた約60人の参加者の方々は、これまでの実践活動における試行錯誤を通して、この発達理論というものが、実際にはそれほど一筋縄ではいかないものであることを体感的に認識されているようであった。

確かに、人間の一生を大きな俯瞰的に眺めたときには、書籍の中で示されているような段階的なモデルを通じて理解することもできるだろう。
しかし、今この瞬間に具体的な課題や問題と格闘している生きた個人や組織の成長や発達を支援するという実務的な文脈においては、そうした俯瞰的な発想をいったん脇に置いて、人間存在の中に息づくミクロ的な揺らぎに注目して、そこに参与する視座と技術が必要になる。
そして、そのためには、「マクロ」的な視点(理論と方法)と「ミクロ」的な視点(理論と方法)の両方に関してある程度通じて、それらを実際の具体的な現場に適用するための実践的なスキルを開発することが必要になるのである。
発達理論の面白さとは、実はこうしたマクロとミクロの間に結節点に立ち、その対極的なダイナミクスを統合しながら、人間存在のダイナミックな変化や変容を支援するところにあると思うのだが、これまではこの点に関する情報があまりにも乏しい状態が続いていた(こうした状況は、実は日本語圏だけでなく、英語圏においてもそれほど変わらない)。
今回の約6週間にわたるプログラムの中では、参加者の方々にこうした決定的に重要なポイントに関しては、それなりに価値ある情報を提供することができたのではないかと思っている。
書籍を通じて得られた成人発達理論に関する知識を実際の現場において適用していこうとするにあたり、そこでどのように「知識」を「行動」に「翻訳」すればいいのかという点に関して、具体的な考え方を示すことができたのではないかと思うのだ。

このように、今回のプログラムは、「成人発達理論」の基礎知識を習得するという導入的段階を終えて、それを実際の現場において適用していくための段階に向かう段階にいる方々に向けてデザインされた内容となっている。
日本においては、上記の書籍等を通じて「成人発達理論」の導入期が終わり、現在は、そこに紹介されていない、人間の変化・変容に関するより繊細・微細なダイナミクスに関する洞察にねざした情報をふまえた実践知を実践者が積極的に習得すべき段階がはじまろうとしている。
今回のプログラムは、そうした段階に向けてみずからの学びを深めていこうとする実践者の方々には非常に価値があるものとなっていると思う。

また、このプログラムの特徴としてもうひとつ指摘しておくべきは、それが発達理論の思想的な側面について明確に言及していることである。
即ち、「発達理論」を単なる技術的・道具的な知識として紹介するだけでなく、その思想的基盤に立ち戻り、とりわけその救済論的(emancipatory theory)な発想を尊重しながら、それを下支えする人間観に立脚して、発達理論の中に用意されている諸々の概念的道具を紹介するのである。
例えば先述のドーソンはしばしばジョン・ピアジェ(Jean Piaget)をはじめとして、発達理論の礎を構築した代表的な研究者達が、「心理学者」であるだけでなく、むしろ、それ以前に「思想家」であったことを強調するが、このプログラムでも、こうした態度を継承して、発達理論というものがそもそもいかなる思想的な態度にもとづいて、人間の成長や発達のダイナミクスの解明にとりくむものであるのかを示そうとするのである。
こうした点に関しては、残念ながら、大学院の授業においても往々にして十分に言及されないままに終わることがあるのだが、今回は「マスタークラス」という名称を冠していることもあり、特に後半のセッションでは積極的に言及している。
こうした点について時間を割くことは、いっけんするとあまり実用的な価値をもたないことのように思われるかもしれないが、知識や理論の消費者として終わるのではなく、その進化に貢献する生産者となるためには必須の条件となる。
即ち、それは、これまでに継承されてきた探求の伝統に参与するということにほかならず、そのためには、倫理をはじめとして、それがいかなる思想的態度にもとづいて営まれてきたものであるのかを理解する必要があるのである。
また、これは、現代社会という文脈において人間の成長や発達の支援に携わる際に、われわれ対人支援者が直面することになるジレンマに対して、己の答えを呈示するための重要な倫理的な基礎を獲得することにもなるだろう。
とりわけ、発達理論のように、その切れ味が鋭いものであればあるほど、こうした思想的な訓練と探求を積んでおくことは、とても重要になる。
今回のプログラムは、こうした意味でも、中級~上級の実践者の方々には非常に価値があるものとなっていると思う。

ぜひ御参照いただければと思う。

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