1. HOME
  2. ブログ
  3. 各種講座・ワークショップ
  4. 告知:『人が成長するとは、どういうことか:発達志向型能力開発のためのインテグラル・アプローチ』(日本能率協会マネジメント・センター)

BLOG

ブログ

各種講座・ワークショップ

告知:『人が成長するとは、どういうことか:発達志向型能力開発のためのインテグラル・アプローチ』(日本能率協会マネジメント・センター)

来月6月に新著を発表する。

https://pub.jmam.co.jp/book/b575577.html

タイトルは『人が成長するとは、どういうことか:発達志向型能力開発のためのインテグラル・アプローチ』(日本能率協会マネジメント・センター)というもので、いわゆる「成人発達理論」を実際の対人支援の現場においてどのように活用していくことができるのか――また、どのように活用していくべきなのか――に関してまとめたものである。
内容的にも、理論を紹介するだけではなく、それを実際の対人支援の現場で運用していくための方法について、それなりに踏み込んだ解説と議論をしているために、結果として、500頁を超える大部の著作になってしまった。
また、執筆の過程においては、企業組織の経営者やコンサルタントとして活躍する著名な実践者の方々、そして、教育や心理の領域で対人支援活動に従事する臨床家の方々の助言を得ながら、「理論」と「実践」が出逢うところに生じる「疑問」や「葛藤」について言及するようにも配慮しているので、それなりに「痒い所に手が届く」書籍となっているのではないかと思う。
発達理論との個人的なつきあいは30年近くになるが、本書は、その間に数多くの研究者や実践者との共同作業の中であたえられた知識や技術を、実際の対人支援の現場で活用することを通して得られた重要な洞察を紹介することを目的としている。
同じような「道」を歩んでいる実践者の方々に真の意味で実用的な視点や洞察を提供することができるのではないかと秘かに自負しているところである。

こうした意味では、本書は明らかに中級~上級の読者を対象としたものといえるのだが(但し、文章は一貫して平易なものなので、入門者にも問題なく読んでいただけると思う)、こうした「通向け」の内容の書籍を出版することを出版社が快く承諾してくれた背景には、間違いなく「市場の成熟」があると思う。
即ち、過去数年の間に「成人発達理論」という「概念」や「理論」がひろく紹介され、その本質がある程度の「幅」(span)と「深さ」(depth)をもって理解されるようになったということである。
また、こうした領域に興味・関心を抱く読者(実践者)は、総じて勉強熱心であり、この数年の間に着実に勉強を重ね、こうした中級~上級向けの情報をたのしみながら受容できる層が育ってきているようにも思われる。
2000年代には、「発達理論」について紹介しても、非常に少数の「玄人」を除いては、全く何の反応も無かったことを思うと、正に隔世の感を覚えずにはいれない。

周知のように、「発達理論」には本質的にメタ的な発想が息づいているが、そうした事情もあり、「理論」と「実践」の間を橋渡しするためには、「抽象」と「具体」の間を繋げるための知識と智慧と洞察が必要になる。
また、その発想がメタ的であるということは、往々にして、それがわれわれの現実認識を非常に抽象化してしまうということであり、それゆえに、慎重に注意をしていないと、われわれの人間理解を単純化してしまうことになるということでもある。
実際、Harvard Graduate School of Educationの発達心理学者スィオ・ドーソン(Theo Dawson)は、「成人発達理論」が過度に単純化されてひろく紹介された結果として、逆に、人々の人間理解を歪めてしまうことになっているという旨の発言をしているほどである。
換言すれば、発達理論とは、人間存在をとらえるためのひとつの視点を提供してくれるものに過ぎないのであり、それを他の思想や理論と相補的に関連づけることができて、はじめて的確に運用することができるということなのである(特にそのメタ的な発想を補完するための発想や道具を提供してくれる理論の併用は必須となる)。
その意味では、発達理論を効果的に理解し活用するためには、それについて学びを深めるだけでなく、それを大きな文脈の中に位置づけて、他の思想や理論と関係づけながら把握する必要があるのである。

今日、成人発達理論を巡る市場が成熟しはじめていると言うときにわたしが謂わんとしているのは、即ち、このような横断的な発想にもとづいて、この理論をとらえることの重要性を認識しはじめている人々が確実に生まれているということである。
こうした問題意識にもとづいて、本書では、発達理論そのものについてある程度の専門的な解説をしながらも、その理論的な視野の外にある課題や問題についても言及して(とりわけ「シャドー」の領域の課題や問題)、それらの課題や問題に対処するための理論や方法を並行的に活用することが非常に重要であることを主張している。
端的に言えば、統合的(「インテグラル」)な枠組の中に発達理論を位置づけることが、発達理論の理解と実践のために必須であることを示しているのである。
周知のように、「発達」とは人間存在の多様な側面や要素や領域を巻き込んで展開する非常に複雑なプロセスである。
そして、こうした統合的(「インテグラル」)な枠組に立脚して発想するとは、そうした現実を尊重して、それに寄り添うための重要な条件となるのである。

本書は、2020年の9月に『Integral Life Practice』の翻訳を終えたあと、数週間の休憩を挟んで直ぐに着手され、改稿を含めて約半年程の間に書きあげられた。
『Integral Life Practice』の翻訳にとりくみながら、「この発想のエッセンスをよりひろい範囲の人々に<翻訳>して伝えることはできないだろうか……」といろいろと思いを巡らせていたのだが、編集者の柏原 里美さんに鼓舞されて、いったん文章を書きはじめたあとは、殆ど筆を止めることなく、最終章まで書くことができた。
あらためて振り返ると、この30年程の間に優れた研究者や実践者からあたえられた刺激に支えられながら営んできた探求の精華を同時代に生きる人々と共有したいという心の奥底で烈しく脈打っていた衝動が、その機会をあたえられて、一気に迸り出たということなのだと思う。

今から20年程前に合衆国の大学院に在籍していたときに、有志の同級生達と共にロバート・キーガン(Robert Kegan)等によりまとめられた発達測定のマニュアルを紐解きながら、夜遅くまでインタビューの練習をしていた時期があった。
ハーヴァードから取り寄せたそのマニュアルは、タイプライターでしたためられたように思われる非常に素朴なものであったが、そこに著者がこんな意味の文章を寄せていた。
「このマニュアルを参考にして、読者の方々には、発達理論に関する知識の消費者から生産者になれるように頑張ってほしい……」
非常に印象的な言葉で、今でもことあるごとにその意味を反芻しつづけているのだが、今回この書籍をまとめることができて、漸くそこであたえられた宿題を提出することができたような気がしている。
もちろん、「これで宿題が完了したと思ってはいけない」と怒られそうだが……。

関連記事